パソコン向けTRONの思い出

 ジャパンディスプレイが中国勢に買収される事になって、BTRONの二の舞みたいな話を見て、元々目が無かったのを国策でどうにかしようとして出来なかった部分に、類似性を感じました。

 自分がパソコン雑誌を読み始めたのが1989年だったので、TRON直撃世代と言えると思います。
 TRONは対応する製品が存在しなかったのと、TRONによって何が出来るのか具体的な事例が示されていなかったので、パソコン雑誌の記事をTRON関係の記事を読んでも、 「メーカーや国が何かやっているなあ」程度の認識しか無く、雑誌の紙面からは期待感みたいな物は伝わりませんでした。
 SF映画の影響でトロンの語感に惹かれる物は有りましたがそれ以上の興味は有りませんでした。 なので、大して興味のない、パソコン雑誌読者の視点での話になります。

 後年のテレビ番組や雑誌などで、パソコン向けのBTRONの目指していた所が何とな分かったのですが、パソコン向けのBTRONには2点の大きな難点がありました。

 一つ目の難点は、80年代半ばから後半にかけては、BTRONの構想を実現できる様な性能は普及価格帯のパソコンにはありませんでした。

 「Windows95の10年も前から、それを超えるOSが有った」

と言った感じのネット上の記事を目にする事もあるのですが、構想が発表されていただけで、80年代に実用的なOSが存在していた訳ではありません。
 一台何千万円とか何百万円と言う価格が付けられるなら別として、 性能は年々向上していたものの、 CPUのクロックが数Mhzから数十Mhzで、マッキントッシュの普及価格帯の一体型はまだモノクロ、国内メーカーのパソコンも扱える色が全部で8色しかないとか、512色中8色、4096色中16色と言った少ない色数が漸く扱える様になったばかり。HDDは存在していてもフロッピーデスク20枚分の容量でも何十万円もする。と言う様な具合なので、大量導入が可能な普及価格帯のパソコンの性能ではグラフィカルユーザーインターフェースを実現するのには無理がありました。
 専用ハードを開発したり、既存のハードの組み合わせで実現しようとしたりと、色々な試みはありましたが、1990年半ばくらいまでの技術で普及価格帯に収めると言う制約だと、仮に最適化した専用機であっても、デモではそれっぽく動くものの実際に使ったら超モッサリで実用に耐えられない、iPhone 3Gみたいな状況になっていたと思います。

 二つ目は、 80年代半ばからではもう遅すぎたのです。
 今の様な形を目指していたかどうかまでは分かりませんが、Windowsの開発は1981年から始まっていて、TRONの構想が発表された翌年には、実用的ではないものの、最初のバージョンが発売されていました。
 80年代後半のパソコンの国内市場はNECが9割を占める様な状況で、他社の異なる規格のパソコン含めて、マイクロソフトのMS-DOSが市場をほぼ独占している状態で、Windowsに対応したパソコンの導入はそれほど進んでいませんでしたが、対応できるパソコンが普及価格帯になり次第、Windowsへ移行していくのが既定路線で、幾ら優れていたとしてもソフト資産の無い新規のOSが、商業的に戦える状況ではありませんでした。
 仮に、BTRON搭載機を強制的に学校に導入したとしても、導入が始まっていた民間企業や省庁が、BTRON搭載パソコンに乗り換えられる様な状況ではもうなかったのです。

 Windowsへの移行が比較的スムーズだったのは、MS-DOSのアプリケーションがそのまま使えたり、記憶メディアやデータに互換性があって、コンバーターを使ったり、或いはそのままで、Windowsに移植したバージョンでも使えた事が多かった為です。

 国策でBTRON優遇しても、既存の資産が使えなかったり、売りになる様なアプリケーションが存在しないのでは、仮に技術的な問題を解決して実現できたとしても、市場の趨勢を変える事はもう無理だった様に思います。

 「もし貿易摩擦が無ければWindowsに取って代わっていたかも」
と言った、ロマンの有る話や、
 「TRONと利益相反の関係にある会社が潰した」
と言う様な陰謀論は根強く有るのですが、 客観的な事実としては、財団法人コンピュータ教育開発センターが1989年3月に採用する様に方針を示したものの、松下電器産業の試作品が存在しただけで、販売には至っていませんでした。
 この状況では、仮に貿易摩擦による方針の撤回が無く、更にBTRON搭載製品以外の導入を禁止するみたいな事があったとしても、学校で先行導入が始まる1990年度にBTRON搭載製品は間に合いませんでしたし、BTRON搭載製品が学校教育用に採用されても、民間企業や一般家庭、省庁に普及する可能性はまず有り得ない状況でした。

 通商摩擦の槍玉に上がって以降、BTRON搭載パソコンが開発できなかったり販売できなくなっていたかと言えば、そんな事は無くて、TRONに熱心だった松下電子産業のグループ会社がPanaCAL ETを1990年に販売開始しましたし、その後も搭載機は幾つか販売されました。

 ソフトウエアのBTRONは超漢字に発展しました。

 財団法人コンピュータ教育開発センターがBTRON搭載パソコンを推奨しなくなったものの、BTRON搭載パソコンを教育用に学校が選定して採用する事を禁止されていません。

 BTRONが自社の扱う製品と利益相反になる為、国策としてTRONを推進事に対する反対する活動は幾らでも有りましたが、各企業が自主的にBTRONの開発や商品展開を行う事に対しては、開発会社の建物にトラックを突っ込ませるとか、火炎瓶を投げ込んだりとか、TRON反対団体が突撃隊を突入させると言った実力行使を伴う妨害行為や、TRONの開発や販売を違法化して禁止すると言った法規制は無かった筈です。

 「BTRONは技術的な意義の大きく非常に魅力的なプラットフォームだったのに貿易摩擦を切っ掛けに、妨害活動が活発化した為に普及しなかった」

と言ったストーリーが展開される事は多いですか、実際の所は、BTRONの構想を実現するのが技術的に困難であったり、国の優遇を得られないBTRONに興味を失ったメーカーが離脱したり、BTRON搭載製品を販売しても市場に受け入れられなかったり、学校教育用BTRON搭載機以外の選択肢を与えたらBTRON搭載機以外が選ばれてしまったりと言った具合に、BTRONが普及せず搭載製品が商業的に上手く行かなかった理由は多数あり、アメリカの圧力や反対活動は体の良い言い訳に使われているだけの様に思えます。
  
 仮に、技術的な問題が解決して、国策でのBTRONの推進も上手く行って、キラーアプリも出て、大きく普及したとしても、海外メーカーも自由に使えるので、液晶パネルと同様に、国内メーカーが国内市場を掌握できたのは一時的で、海外メーカーの台頭で国内メーカーが退場させられる結果になっていたかも知れません。

 2019年の4月の時点では組込用TRONは隆盛を極めていますし、 超漢字をWindows上で動作させるためのエミュレーターは2019年4月現在でもアマゾンでも購入可能です、BTRONの関連書籍も幾らでも手に入るので、興味のある方は手に取ってみてはどうでしょうか。

 画像が全く無いのもアレなので、アイキャッチ画像はTRONフォーラムのキャプチャー画像を引用しました。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です